篠原涼子という女優
bump.yのメンバーたちが今後どのように活動していくかは一応注目の的として挙げられる。だがその後の芸能人生が恵まれるかどうかは、本人が得意とする分野を見つけることに成功し、また他のタレントにはない個性という個性を発揮できるか否かだろう。さすがにそれ以上先までは見通すことなど不可能となっているため、話はこのくらいにしておこう。bump.yのような歌に演技と、色々な分野に進出してはどちらも成功し、また成功はしたもののその後の道筋として女優ないし歌手といった方向を導き出せれば、芸能界でも苛烈な競争の中で生き残れるだろう。
ここからは個人的な視点から話を進めることになるが、アイドルとして活躍しながらもその後の芸能人生において一線を画した存在へと昇華することが出来た女性タレントさんの一部を、個人的な意見と混ぜて紹介していこうと思う。まず最初に紹介するのは、個人的にも幼少時から何故か知っていた『篠原涼子』さんから話を進めていこう。
篠原涼子さんといえば今でこそ女優としてのブランドが高くついており、演技については代表作となっている作品も多く、等身大の女性というものをありのままに表現したことで知名度共に人気を獲得している。ただ本人にすれば『歌手』が本業だとも言っている。言われれば納得もできるが、ここ数年は結婚生活を重視した生活も合って表舞台に積極的に出ていないこともあるが、特にここ数年の間で篠原さん名義のCDが発売されるといった経歴は確認されていない。
ただ最近の、それこそ2000年代に生まれた青少年達の中には篠原涼子さんが歌手活動をしていたという事実を知らないかもしれない。それもそうだ、こういってはなんだが全盛期は90年代中盤頃に活躍していたので、当時を知る人には馴染みがあるだろう。そして歌手としても実は前人未到ではないにしても、簡単に出せない記録を打ち出してもいた。
ダブルミリオン経験者
篠原涼子さんの代表曲はなにかと考えると、彼女が歌手として活動していた事を知っている人ならまず絶対上げる曲としては『愛しさと切なさと心強さと』という楽曲だ。この曲は有名な格闘ゲームのアニメ映画の主題界に起用され、さらに楽曲提供をしたのが当時まさにイケイケだった小室哲哉のプロデュースの下で発売される。その甲斐と篠原さん自身の歌唱力も相まってか、表題曲は大ヒットを繰り出し、なんと2年間も売れ続けたことでシングルCDのセールスだけで200万枚を記録するメガヒットとなった。最近こそミリオンを売り上げたという楽曲は殆ど無い、未だに売上を記録しているグループもいるが、純粋な意味での音楽として発売したら恐らく目も当てられない現実が待っているだろう。現在でこそなりは潜めているが、長年活動しているバンドや歌手の中には過去何曲もミリオンセールスを記録した経歴を持っているが、篠原涼子という女性歌手が成し得たのはそういった人たちに並ぶ快挙だ。
そんなヒットを出したのは一曲だけとしても、事実としてダブルミリオンを記録したという事実は覆ることはない。音楽史という側面から見ても発売された当時は大々的に宣伝されていたことも覚えている人はいると思う。ただそうした歌手活動もその後はあまり実らなかったことも有り、タレントとして人気が低迷していた時期もあるなど、意外と苦労していたこともある。
元祖アイドルユニット所属
篠原涼子というタレントは筆者からすれば単独でいる時のことしか知らないのだが、そんな彼女もかつては東京パフォーマンスドールというアイドルユニットからデビューを果たしたという。のちに知ることとなったが、そういう意味では篠原さんの芸能人としてのスタートもやはりアイドルから始まったということだ。
その当時から例え嫌な役柄でも物おじしない演技力を披露したことで、一人のタレントとして人気に火がついたことで前述のダブルミリオンアーティストという名誉を手に入れるまでに至る。そういう意味では世の中分からないものだ。余談だが、この東京パフォーマンスドールには現在女優として活動している仲間由紀恵さんも所属していたこともあるなど、実は意外とすごい人たちが出身だった伝説的なアイドルユニットだったのかもしれない。
女優としての地位を確立
篠原さんが女優という分野で存在感を示すようになったのは、個人的には自閉症という先天的な病気を抱えた息子と共に生きていく『光とともに…~自閉症児を抱えて~』という作品だろう。筆者はその頃から篠原涼子というタレントについては懇意にしていたのでたまたま初回から最終話まで全て見ていた。そこから個人的にも篠原さんの作品を視聴する事となったが、その後の代表作としては今年2015年に完結編が劇場版で放送される『アンフェアシリーズ』なども記憶に新しい。
アイドルから歌手、そして女優としてある意味ジャパニーズ・ドリームといった感じの躍進に成功した篠原涼子さんも、そういう意味では成功できた1人の代表例として挙げられる。